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《げっせい》ジャイアンツ(読売巨人軍)とその選手スタッフに関するニュースや試合結果などをまとめ、あれこれ思うことを書いています。

背番号18の変遷

ジャイアンツの背番号18の歴史と、その番号の持つ意味・イメージは?

背番号18

 

歴代選手と特徴

’39〜’42
’46〜’57
なかお ひろし
中尾 碩志(投手)
’58〜’66ふじた もとし
藤田 元司(投手)
’67〜’84ほりうち つねお
堀内 恒夫(投手)
’86〜’06くわた ますみ
桑田 真澄(投手)
’12〜’18すぎうち としや
杉内 俊哉(投手)
’19〜すがの ともゆき
菅野 智之(投手)

(2019年1月30日現在)

 

巨人の18番は言うまでもなくエースナンバーである。

 

1947年に読売ジャイアンツになる以前には、スタルヒン、前川八郎、近藤貞雄、中尾のみであり、19年からの菅野で歴代9人目となる。

 

<写真は合成>

 

 

中尾 碩志

(1939年〜1942年、1946年〜1957年)

1947年までは中尾 輝三で、48年から碩志に改名している。

 

兵役のために途中抜けているが、39年から57年までの間の16年間に背番号18をつけ、「エースナンバー18の祖」とされている。

 

48年に最多勝(27勝)、最優秀防御率(1.84)、最多奪三振(187三振)のタイトルを獲得して、ベストナイン、沢村賞に選ばれている。

コーチや2軍監督としてV9時代を支えた。

 

藤田 元司

(1958〜1966年)

入団1年目の57年は背番号21で、17勝をあげて新人王に輝いている。

 

2年目の58年から64年までの7年間は現役選手として、63年からコーチ兼任となり、65年と66年は投手コーチとして、背番号18をつけた。

 

2年目は29勝、3年目は27勝をして、リーグ優勝に大きく貢献したが、日本一にはなれず「悲運のエース」と呼ばれた。

 

現役は8年間と短いが、その間に119勝をあげている。

81年〜83年と、89年〜92年の2度監督に就任しており、どちらもリーグ優勝2回で、うち1回ずつ日本一に輝いている。

 

堀内 恒夫

(1967〜1984年)

藤田元司と同様に入団1年目は背番号21で、16勝を記録して、最優秀防御率、最高勝率、沢村賞、新人王のタイトルを獲得た。

 

2年目の67年から背番号18をつけて、現役で18年間、82年からコーチ兼任、84年は投手コーチを務めた。

 

その間に、67年にノーヒットノーランを記録、72年には26勝で最多勝に輝くなどエースとして活躍して通算203勝をあげた。

第一次原監督時代のあと、04年と05年に監督を務めたが、リーグ3位、5位と監督としては結果を残せなかった。

 

桑田 真澄

(1986〜2006年)

堀内が引退した後に1年空いて、86年に高卒ルーキー(ドラフト1位)として入団し、巨人在籍の間に背番号18をつけた。

 

斎藤雅樹(背番号11)、槙原寛己(背番号17)とともに、90年代ジャイアンツの三本柱として支えた。

 

しかし、最優秀防御率、最多奪三振、最多勝率のタイトルには輝くが最多勝は取っていない。

 

長嶋監督で日本一になった94年にはMVPに輝き、エースとして認められる活躍をした。

 

メジャーに挑戦するまでの現役生活21年間で、怪我に悩まされながらも173勝をあげた。

現役時代から過去の常識に囚われない信念を持ち、指導法についても独自の理論を持つが、19年時点でプロ野球の指導者にはなっていない。

 

杉内 俊哉

(2012〜2018年)

桑田の後、5年間の空白を経て、FAでソフトバンクから移籍してきた杉内が背番号18をつけた。

 

ソフトバンク時代の05年には、最多勝(18勝)・最優秀防御率(2.11)・沢村賞のタイトルを獲得して、MVPにも選出されている。

 

移籍した12年にノーヒットノーランを達成し、前半だけで9勝をあげるなど、エースとしての活躍をみせた。

 

シーズン後半は肩の違和感から離脱するも、シーズン12勝をあげるとともに、最多奪三振のタイトルを獲得した。

 

3年目の14年には、史上最速で2000奪三振を記録し、移籍後3年連続で2桁勝利を記録した。

 

15年には序盤に5勝をあげるも、股関節痛により離脱してしまい、過去に前例のない大手術を受けることとなった。

 

16年から18年まで3年間、公式戦での登板なく引退となった。通算143勝。

19年よりファーム投手コーチに就任した。

 

菅野 智之

(2019年〜)

原監督とは伯父・甥っ子の関係であることは有名。

 

大卒時のドラフトでは日ハムの1位指名を拒否して、大学に残って1年浪人した後、翌年巨人から1位指名で入団した。

 

入団以来6年間、背番号19をつけていた菅野が、杉内の引退で19年シーズンより背番号18をつけることとなった。

 

その6年間に開幕投手を4度務め、最優秀防御率4回、最多勝利2回、最多奪三振2回、MVP1回、沢村賞2回、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞3回と、華々しい結果を残している。

 

17年のWBCでは、侍ジャパンの小久保監督からエースとして指名されるなど、ジャイアンツのエースというだけでなく球界のエースだ。

 

18年のCSではノーヒットノーランを達成し、野村克也氏に「これ以上に楽しい投手はいない。受けてみたい」と言わせた。

背番号19番は上原が入団時からMLB時代にずっとつけていた番号で、19年シーズンからまた復活することになった。

背番号18のイメージ

イメージもなにも、背番号18は巨人のエースナンバーである。

 

菅野で歴代9人目、戦後に読売ジャイアンツでとなってからは6人目である。

 

ジャイアンツのエースとして認められた者しか背負うことができない。

 

原監督が「智之しかいない」と「18」への変更を公言した。80年を超える球団史で8人しかいない伝統のエース番号。
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