背番号00の変遷
ジャイアンツの背番号00の歴史と、その番号の持つ意味・イメージは?
歴代選手と特徴
’94〜’95 | やしき かなめ 屋鋪 要(外野手) |
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’96〜’98 | こうむら よしかず 高村 良嘉(内野手) |
’99〜’05 | ごとう こうじ 後藤 孝志(内・外野手) |
’06 | おおにし たかゆき 大西 崇之(外野手) |
’07 | かわなか もとつぐ 川中 基嗣(内・外野手) |
’08〜’18 | てらうち たかゆき 寺内 崇幸(内野手) |
’19〜 | よしかわ だいき 吉川 大幾(内・外野手) |
(2018年12月25日現在)
80年代初めまでは、背番号といえば1番から始まるものだった。
しかし、83年に広島で「0」が、88年に阪神で「00」が初めて採用された。
巨人では、89年から川相昌弘が「0」を、94年から屋鋪要が「00」を付けたのが初めてとなる。
屋鋪 要
(1994〜1995年)
屋敷といえば、94年に横浜から移籍入団した選手で、大洋時代にはスーパーカートリオとして俊足で活躍。
余談だが、ヒゲが禁止のジャイアンツであるが、当時の長嶋監督に気に入られて特例で認められてヒゲを許された数少ない選手の一人。
高村 良嘉
(1996〜1998年)
高村も95年には19安打中12本が内野安打という、俊足が売りの選手。
後藤 孝志
(1999〜2005年)
外野手登録だが内野も守るユーティリティープレイヤーとして活躍し、レギュラーにはなれなかったがムードメーカーとしてチームを引っ張る存在だった。
引退後も、指導者として守備、走塁、打撃のコーチとして活躍している。
大西 崇之
(2006年)
引退する06年に中日から移籍してきた選手で、代走や守備固めで多く起用されていた選手だ。
引退後は、スカウトとして中井大介を獲得したり、長い間にわたり外野守備・走塁コーチとしてコーチャーズボックスに立ち活躍した。
川中 基嗣
(2007年)
内野手登録だが外野もこなす強肩・俊足のユーティリティープレイヤーとして活躍。
「0」から「00」に変更した07年は外野手に専念したが、高橋由伸と谷佳知がいたため一軍の試合に出場することなく引退した。
寺内 崇幸
(2008〜2018年)
打撃に課題はあったが、俊足強肩で守備力や小技に定評のある選手だった。
これまででもっとも背番号「00」を最も長く11年間付けてきたが、今年18年に引退。
吉川 大幾
(2019年〜)
俊足・強肩を武器とし、スーパーサブ的存在で守備固めや代走などで活躍した。
原監督が就任し、寺内が抜けた19年シーズンより背番号「00」を付けることになる。
吉川と同じPL学園出身である立浪和義2世として期待され、ドラフト2位で中日の入団時に高卒でありながら背番号を「3」を付けた選手。
背番号「0」は17年より吉川尚輝が付けており、「00」とどちらも吉川となった。
背番号00のイメージ
巨人では90年代半ばから使われるようになった背番号「00」だが、付けた選手はいずれも俊足と好守が持ち味の選手である。
初めて付けた屋敷要に「00」が採用された理由は定かではないが、そのカラーが後の選手に継承されたのであろう。